長 岡 療 育 園

行事・地域編 花火


長  岡  療  育  園  の  花  火

長岡療育園の毎年恒例の花火大会を、今年は7月31日(土)に長岡福祉協会駐車場にて行いました。「花火大会」というと、スーパーや、お祭りで購入する花火を思いつきますが、長岡療育園の「花火大会」は花火師の資格を持つ長岡療育園職員(看護師)が打ち上げる本格的な花火大会なのです。

スターマイン →

花火の解説アナウンスの後、大きな大きな花火が次々に打ち上がり入所者・ご家族、近隣施設の方、ご近所の方、そして長岡療育園職員・ボランティアの皆さんは、頭の真上に打ちあがる大きな花火に酔いしれていました。

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花火大会当日は、入所者・ご家族・職員・ボランティアを合わせ400人以上の人が参加しました。

ナイアガラ →

長  岡  花  火

長岡まつり                             

長岡まつりは毎年8月1日2日3日にかけて行われます。1日はみこしや、民踊流しが行われ、2日3日は信濃川河川敷にて大花火大会が開催されます。全国の花火大会の中でも有数の規模であり、秋田県の大曲などと並び、全国数ヶ所の花火で有名な地域と毎年、花火サミットを催すほど地域をあげて行っている一大イベントとなっています。

長岡の空襲

長岡まつりの始まりは、昭和20年8月1日(太平洋戦争末期)長岡市上空にB29が来襲。126機による波状攻撃は1時間40分におよび、旧市街地のほとんどを焼きつくしました。これにより尊い1460余人の命が消え、6万人もの人々が家を失いました。長岡市では、この悲しい日を長岡市復興への意義ある日とするため、1年後の昭和21年8月1日に「長岡市戦災復興祭」を開催しました。これが市民の共感を得て年々盛んになり、昭和26年からは「長岡まつり」と名前を変えて現在に至っています

長岡花火の歴史

長岡の花火の歴史は古く、長岡藩十代藩主牧野忠雅の時代、1840年に川越移封の命が下り、1841年それが沙汰やみになったことを祝い「合図」を打ち上げたのがその発祥ともいわれています。その後様々な形で花火大会は行われ、戦後の花火大会は昭和22年8月1日、2日「長岡市戦災復興祭」の名で復活。翌年からは8月1日を戦災殉難者の霊を慰めることに重きを置くことにし、花火は2日、3日に変更。さらに26年からは「長岡まつり」と名称を改め、正三尺玉が打ち上げられました。

毎年、信濃川堤防近辺に約45〜55万人/日の人が「長岡の花火」を見物に来られます。(長岡市の人口は約27万人です。)ちなみに 長岡療育園も毎年「長岡医療と福祉の里」の一員として長岡花火の協賛をしています。2015年8月3日は
ベスビアス大スターマイン「輝け愛花火」を打ち上げました。


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